君看双眼色、不語似無憂
江戸時代に生きた白隠禅士の作で、同時代の高名な詩人良寛和尚が愛した詩に、
君看双眼色、不語似無憂(キミミヨソウガンショクカタラザレバウレイナキニニタリ)という句があります。
はじめてであったのは、中学1年生の頃で、家庭内では夫婦喧嘩が絶えず家に帰るのが怖く帰っても自分の部屋に隠れておびえる毎日を過ごしていたころです。
そのころから、この詩は、いろんないやがらせや暴力にやられながらも何も言わずに愁いをたたえた静かな目で黙々と毎日をつつましく生きる人のことだと思っていました。
多くの書物にも、君看双眼色、不語似無憂については、このような解釈になっています。
君みよ双眼(そうがん)の色 語らざるは憂いなきに似たり
多くを語らないからといって、あなたは私の両目に宿っている深い憂いの色を感じないのだろうか。
出典 酔中夢書
(URL https://www.shodo.co.jp/blog/hidai2009/2009/01/post-10.html)
「その目を見てごらんなさい。何も言わなければ憂いなど無いようにみえるだろう」
語らないのではない。語れないほどの深い悲しみがあるからこそ、その瞳は澄みわたり光り輝いているのだ。それは、悲しみの涙を流したあとの輝きである。
出典 日本人としておぼえておきたい力のある言葉
(URL https://www.compass-point.jp/kakugen/3131/)
日向坂46をみて考えが変わる
しかし日向坂46の活躍をみるにつけ、君看双眼色、不語似無憂であらわされている目は深い憂いの色を宿したままの止まっている眼ではなく、語れないほどの深い悲しみを持ちながらも明るく輝く瞳のことを言っているのではないかと感じるようになりました。
特にAKB48のオーディションや東大受験に失敗しながら何事もなかったように、ふるまう影山優佳にそれを感じます。
日向坂46は、私にとって漢詩の解釈も変えました。